צא

دمنهور - 𝑆ℎ𝑖𝑧𝑢𝑜𝑘𝑎 | 𝐻𝑒𝑟𝑚𝑒𝑠 𝑇𝑟𝑖𝑠𝑚𝑒𝑔𝑖𝑠𝑡𝑢𝑠(933311) | Ramakrishna | 𝐑𝐀 | 1991.03/19 | JAPON ♎︎

車の扉に貼りつくと石灰岩の芯にある肌色のストッキングに導かれた

螺旋状の、その芯へウエシタを繰り返す蝿の葉になって、クリムゾンドームの天井、その腹の内側に息を殺す

ヒスパニック肩鎖にこしらえた、安上がりのバーから転げるようにして、膝をなくした市松模様の黒人がベンチに腰を降ろす

「どうやら」

ゴラン書にある通り、これは三回目である

靴紐の本来の姿を悟る、あの夢の腹中に男は自分がいることが分かる

メリーゴーランドとツナ缶の距離と、そこを馬が走る

馬は、見るからに馬なわけであって、巡回的な歩速で欠けていった

解離したマヨネーズに見られる、あの黄色い油に浸された蜘蛛は馬鹿でかく、空テナント三階の一隅で寝食を落ち着けている

階段は緑色。抽斗のついた、一段一段である。

男はVHS裏側、巻取りローラーの中央で尿を浴びせかけられる癖に誠実であった

日雇いとパスポートの顔写真との交互に目まいを覚えながら、牛の断裂した鼻の一室に導かれる

そこは児童の作文の匂いときつねうどんの発する地域密着型特有の後ろめたさで悶々としていて、窓までたどり着けないような気がする。

何より伝書鳩がバナナのようにむかれながら、ハウスメロンに寄生した松脂虫のペッティング科から派遣されたのだし、ポスティング裏手に安住する缶切のような質感のナナフシが大口を開けながら、何とも嫌なビーズを丁寧に飲み込んでいる

そこで提案されたのが、あの天体であって、少々の教唆的な団体に譲る他ないところもありながら、それでも何とか《ここ》は成り立っている

《ここ》は象によって踏みつぶされた。黒人が耳を折りながら大笑いしてるところを、少年の精液が貫く

ぶよぶよになった繁華街の朝一番の風が突き当たりの傘に跳ねる

どれもこれも同一人物だし、それも曰くつき例の浅ましいぬか床によって変質していくので、ただ待ちの目玉であればいい

運動会がキセルに吸い込まれる。輪切にされたキセルから忘れられた階段が見つかる。安物のチェーンに詳しい美津子が言うには、精巣はじきに頭部に行くらしい。

幾つかの童謡を聞き終えて私は毛布の上で大根をすりおろす。あかぎれアトピーの中、肩に乗ったかまきりが痒そうに車を出していく

五、六人は漏らしたが、それが何になるとホイッスルの開口部でディルド作りの工場二つ

均整のとれた赤い市場で、緑に膝まづきながら延々、壊死に至りつかない

リハビリはもう終わったようで、人を殺す成人の部屋に車椅子が舞い込んだ

カツ丼食うか?

すると手を打ってケツから爆破した黒人の歯茎と歯が木っ端にならず、単一個として投げ出される

そしてのカツ丼食うか?はイエス

歯医者の靴を脱ぐところが好きで、死んだよのクマのぬいぐるみにそっくりな名前は多分、ジョンに近しいそばかすを携えた子供が不慮にも子犬に食いちぎられ、それはまだ完了していないので、食いちぎられている一番いいところを垣間見ることになる

まるで子犬が食うたびに「ジョン!ジョン!」と鳴っているような気がしてお母さん (ここで相対装置によって絶たれる)

ただの勃起した生殖器と、それを見下ろす男性の状態だけがあり

ー不幸にもー という接続詞が口で造られた

まぐわいの麒麟麒麟、そこで手を挙げた少年がどちらか分からなかった。

列車からはみ出たバランスボールが、トンネルをくぐるときに衝突して、その反動で都心に住む老人の自転車、そのベル部が押収されることになる

そうなるとこれは、奇病を生むことになるし、無名で終わる画家の新聞紙が海を渡り、港の漁師の焚き火に費やされることにもなるんじゃないかな

注射器の概念を消すことが、全く快い様変わりの供儀になる人間もいるし、「俺らは多分死なないんじゃねぇかな」

取り敢えず行燈を豆電球に変えてから、ケニーの頭をぶち抜けば、結局は一つのキューブに還るわけで

一つのキューブ自体が、数のある限りはその分だけあることも忘れているんだ

ただやっぱりケニーの頭をぶち抜く工程は、ある人種にとっては避けられないことというのは頑として言える