צא

دمنهور - 𝑆ℎ𝑖𝑧𝑢𝑜𝑘𝑎 | 𝐻𝑒𝑟𝑚𝑒𝑠 𝑇𝑟𝑖𝑠𝑚𝑒𝑔𝑖𝑠𝑡𝑢𝑠(933311) | Ramakrishna | 𝐑𝐀 | 1991.03/19 | JAPON ♎︎

断章

七回おどって たわけた群がりの 回 といった字は 地獄の赤。紋様セレント側から散らしている電気胞子によって量産型エントランスは壊れていった。
《限りなく地味な宇宙の落下》
マグニキン中では切断されたフォームが沢山コレクトされている。例えば交尾中の様々な中腰や車のほんの部品、偏頭痛の図形などが。お前は 糞が 死ね/いつまでもウジウジと弱者の責任転嫁ごっこ 蛆に次ぐ蝿、蛆に次ぐ蝿ひっきりなしだ。誰が これに (ここで現実に虫が入る) 土偶に油をかける団体。神経は摩耗し死因同士の相殺。小さかった。現実に虫が入る。赤い光線がゆっくり伸びていき動作に伴って扉が開閉を繰り返し続けている。この扉というのは まさに虫の同位体であるのだ。港の路を ぶっ壊すようにして倉が立っている。プロペラ屑のサンプル/同様に液体。額は開かれてしまった。あなたは眠っているのか。いや眠っていないはずだ。何故なら敵がいるからだ。敵との均一化/睡眠量。機械は加工品の肉を首の付け根に差し込みながら( 早急に通過の発行を ) とロール。そうだ、通貨の発行をしなければならない。あなたは目の前で 出来事 を見たが それは出来事なのか。私らは 運動している という実感と 運動自体の数値 を照らし合わせなければいけない。つまり私らは からっぽの死を林立させ、模型という単語に モノホン とルビを振らなければならないのだ。そう、その からっぽの死は モノホン であるが、取るに足らないという事だ。取るに足らないオニギリを食べ続ける(ここで食い気味に life という合いの手) 私は負けない、私は負けないぞ をループさせる。一体、何回目で情緒は剥がれる? 私らに病気の選択は可能? 空間工の資格: 糖質の過剰摂取/ 微妙に水やり/ 信号の破壊と設営。バタフライとエビフライは呼応するか? あるいはétudeが設けられた場合、bとeをどう表現させる? それは無防備のおかしみのように? それとも袈裟のように? 私らは痒さのプロだ。痒さとは多様である。痛みは線の動きだ。痒みは固の動きだ。私らがエネルギーをエネルギーのまま交換可能であれば直ぐさま破滅するだろう。そう邪魔や手間がいるのだ。なんと陳腐な劇場にいるのだろうね。このスリリングなおままごとに 絶対 は無用だ。反故のみが試されている。その前に多くの馬鹿どもには 感情/意味 の問題がある。二元性を二元性のままに固着させる馬鹿ども。二元性というものは対象であり主体ではない。生きられないから死ぬ/死ねないから生きる というのは それ自体 生き物なんだ。これは主体ではない。そこには一つの発達障害がある。そこには感情/意味/実感に色づけされてない知覚がある。違和を異化させてはいけない。異化させてしまえば 死んだ場 の皮が剥げないように お前自身 になってしまう。その後に 感情/意味 がある。大体 このステップ で魂は廃棄されていく。精神病は 世界 ではなく 作用 である。そこには 生理学の支配/気学の支配 があるだけだ。例がある。たとえば 彼は精神病で死んだのではなく気学の偏りによって死んだ と。一色単にいえば 食生活 によって死んだ、と。地区の配置によって死んだと。どの方角にコンクリートがある? 盆地? 水路はある? 自殺と磁場の関係。気学における磁場の体系。一体、人間に生まれたからには 感情/意味 と 知覚/解釈 どちらが視覚的によろしいだろうか。指揮者か演奏者か。私は後者の方が豊かであると思う。何故なら演奏者は感覚を享受できない。彼は感覚自体にならなければしょうがない。私は 世の流れ と逆行し、みすぼらしく唾棄されるような扱いを受けなければしょうがない。何故なら私は そういった生き方に向いてないからだ。向いてない場に身を置く性癖。闘争状態とたじろぎを交互にしながら精一杯、翻弄されなければいけない。当たり前だが 会社に従属していれば雇用者であり、絵を描けば画家であり、本を出版すれば作家である。それは名義であり能力ではない。この世の概念は名義であり、能力や作用ではない。