郊外の工業地帯で「devorce in architecture(ディボース イン アーキテクチャー)」という紙を拾った。私が拾ったのではなくそれは画面にフォーカスされている。
昼下がりに夕暮れが差し込まれる。また夕暮れから今の時間まで巻き戻される。そして三段階の緩やかな経過にしたがって天国になる。
全てが黄色かった。黄色すぎて地球を表象する土色は透明になった。
節の多い観葉植物。この観葉植物は白色である。背後には白い絵画があり、観葉植物をコントラスト的に圧迫している。
「爪は半円、爪は直線になるべきだ」
すると手は掴む事も抱きしめる事も出来なくなった。
青い雷が地上に撃たれる夜。その明滅の度に人間の皮が映し出される。それはうずたかく72億分を超えて140億分の人間の皮があった。
ボートレース。3人の選手しかおらず、テレビのテロップでは「白・黒・グレー」で構成される近代美術風のニュースが流れた。
季節風により建物が郊外まで吹き飛ばされて9人の死傷者。
devorce in architecture
ボートレースの優勝者はスロバキア人だった。彼は壇上に上がりスロバキア語を話した。話し終える前にテレビは密度の低い砂嵐で覆われて、画面一帯が茶色になった。
キュボロのカーブ地点には臍の緒が置かれている。
「人体において臍とは何だろうか。腰とは上下をつなぐ点。腰よりこの上にある臍とは、母親と繋がっていた痕跡だと考えれば人体の中で最も物質的なポイントという風に言える」
私がインターネットに投稿した事である。
最悪のマスターベーションから最高の出会い。
devorce in architecture
キュボロを半分に裁断する。断面を指でなぞってみると木を感じた。このキュボロは一般的な木材を使用して作られたものである。
私はキュボロを燃やした。またキュボロは燃えるという点において紙同然だった。
臍の緒はもう見えない。しかしそこには教皇があった。
「私が求めるのは新しいコンテンツ・ツールではなく新しいプログラムである。新しいインターネットである。つまり異なる界では既知の相対的な新人類である」
教皇と私は向かい合い食事をした。素手でパンを食べた。
箸は燃えるので消滅しており、スプーンやフォークは溶けるので鉄塊になっていた。
ーーーーーー
教皇曰く「雨というのは一度、天空で溜められて巨大な球体になってから地面に叩きつけられるべきである。それは波紋が点と円を区別し、理解する事で人々が地上から離れようとしないからだ。それは山に叩きつけられるべきなのである。山から流れてきた水は、生活圏を指す「田」の型へ排水され、つまりは人々は四つの区分の中で生きており、問題があれば中心に集まって解決する」そのようになればいいとの事。
中心点で男女が争う事はなかった。それは必ず同性同士で行われた。そして負けた人間のみ脱出する事が許された。そこで鉄の塊に出会った。
また教皇は「人々がいなくなれば、木々は枝を伸ばす必要がなくなり、本来の直線的存在に立ち返る事ができる。そのためには雨が一様に降ってはならない。それは人々を四元素的な存在から二元素的な存在まで堕落させる。金属が存在する理由もここにある」と述べた。
私は画面を押しのけて紙を拾った。紙には「architecture」と書かれており、自分が教皇である事をはっきりと理解した。