צא

دمنهور - 𝑆ℎ𝑖𝑧𝑢𝑜𝑘𝑎 | 𝐻𝑒𝑟𝑚𝑒𝑠 𝑇𝑟𝑖𝑠𝑚𝑒𝑔𝑖𝑠𝑡𝑢𝑠(933311) | Ramakrishna | 𝐑𝐀 | 1991.03/19 | JAPON ♎︎

「第20番」

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大地に金色の八角形があった。土俵を想像して欲しい。その中央では単なる木が生えており、霊視していた私はこの場面で卒倒しなければならなかった。

太腿の光沢感。限界を超えてむしろステンレスである。ビルは地面に根ざしているように見えるだろうか。それは根ざしているようには見えない。なぜならコンクリート面であるから。したがって室内のグレーのカーペットがこのビルの地面の役割を果たしているのである。ビルは人がそこで活動する事を前提にしている。

単なる木は八角形の中央でまだ存在しているはずだ。衣類を考えるのには裸になる必要性がある。海をバックに矮小化した女性の体。その目の前には自分の裸が置かれている。

教皇の衣装は黒であるが紫色だった。我々にはそれをどちらかに決定する事は出来なかった。そして教皇が海へ向かう時、紫色はどのようになっているだろうか。このシーンは成立不可である。この教皇が海に向かう事はない。つまりこれは可能性的風景であり、黒色は彼方に、紫色は我々の手元にある。我々が裸である事が条件である。そして教皇は肌色、白色、青色だ。

遺伝子を超える霊統。勿論これは横並びにならない。しかし顔を考えてほしい。それは並列可能になる。造形としての顔が霊統によってガンガンに歪曲されていく。反対の軸からすればそれは整っていく事を表す。目には目を、宵越しの水どころか海に置かれた水。

もし人間の肺活量が無限であったら口笛は人を不快にさせる事がなかった。反対に常に存在しているものであれば途切れる事がフレームに吸い込まれていく事を意味した。そしてフレームが息づき始める。海の写真がある。写真とはL版であり四角形である。それをなぞるという事。

両手両足を広げた男。彼が何を表しているのか。このように申し上げたい。奇数とは左右対称を兼ね備えている。5であれば2・1・2。7であれば3・1・3。ビル・写真について説明したがスクエアというのはこの世ならではと言える。つまり7段4番目でマルクト縦ラインを指している。

金色の八角形の中央に単なる木が生えている。それが重要だ。そしてそれは海によって矮小化された女性の体から生じている。太腿の光沢に映ったのだ。

金属あるいは氷が溶け出したのは熱によってだった。これを区別する事はできない。熱、固体部、液体部といったように。この光景を翻訳するとこうなる。私はもう何も自分の事を話さない。大いに沈黙を語っているのだ。
反対に水銀は錬金術的に合金化されていった。