צא

دمنهور - 𝑆ℎ𝑖𝑧𝑢𝑜𝑘𝑎 | 𝐻𝑒𝑟𝑚𝑒𝑠 𝑇𝑟𝑖𝑠𝑚𝑒𝑔𝑖𝑠𝑡𝑢𝑠(933311) | Ramakrishna | 𝐑𝐀 | 1991.03/19 | JAPON ♎︎

「太陽原人」

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太陽原人 太陽原人 太陽原人 太陽原人

誉れ高いボアヘッドに訓戒でくり抜け。星形にくり抜く時、お前はAppleの工場を思い出す。
それをひとえに「グレー」と呼んだ。

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ハーバリウム内の青い草が天葢に遮られてついに硬化した。目を凝らして根を見れば、それはどこにも根を張っていなかった。事実とは創造である。

完全なシステム。何も言う事はなかった。しかし特殊であったために何かを言わなければならなかった。陰陽も大自然も食傷を起こして、彼はガソリンのようなハンドルを握った。太陽が反転しても問題はなかった。そんなような話がある。

・terminator2の敵が灼熱の中で溶けていく。これは映像であったために逆再生で灼熱から合金の生命が飛び出してきた。私はモニターを割った。中指の関節が裂けて血が出てきた。私は右利きであったので右腕でモニターを殴った。空いた左腕で私はメルカリでONE PIECEのポスターを買った。私はそれが届くまでこの体勢でいた。二日後に届いた。私はそれを破壊されたモニターにそのまま突っ込んだ。

天然現象「ONE PIECEの唯一的インスタレーション」である。何もかもが正的でかつ完全な規則性によって行われる場合、一周回って非創造的に感じる事がある。それはイマジネーションと現実に誤差がないからだ。

花を思い浮かべても物語が浮かばない。では太陽は?鉄は?何も浮かばないのである。この状態が創造的である事を知っている。人間は不幸な物語をもう知らない。悪魔の顔を思い出そうとしてももう浮かばない。なぜなら口語は廃れたからだ。そのような物語がある。一切の禁止されたところの本当の自由。

2020.4/24 14:17
天使が雲のように伸びる。風はその沿線を循環している。空は灰色というよりコンクリートだった。しかし気泡はなく完全な密度であった。一段上に世界があるのだと感じさせた。溶接の匂い。金属の匂いが漂っている。

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さて目線の先には赤いプレートがある。それはボックスである。何の送電が行われてるのだろうか。穏やかな印象を与えている。それがすべてであり、実際性は問われなかった。

象のブロンズ越しに窓枠が見えている。それは景観ではなくまさしく窓枠しか存在していなかった。金縁の中を覗き込むと評議会が行われていた。右腕を触る。太陽に透かされて体毛は茶色であった。皮膚はきめ細やかで原基的な印象を感じさせる。

反復性とは次元間なのか次元内なのか。それについて問わなければならない。それも皆様方に訴えがけるような方法で。花火が打ち上がる。人はそれを見る。そして写真を撮る。花火は現象であり地上に還元されない。反復性とは次元間である。この場合において人はなぜ花火を写真に収めるのだろうか。それが地上に属するものではないというのに。つまり一回性の、死の引きつけの問題ではないというのに。我々は打ち上がった花火を見る時、本質的にその製品の単位まで遡っているのだろうか。そうではない。我々の方が地上に属していないのだ。しかし我々は地上で暮している。
もう一つの例。背後から自転車が通った。その人物の美醜あるいは衛生的かの観点があった。美しく衛生的である。彼女がどこへ向かうのか見届けた。醜く不衛生である。彼女がどこから来たのか振り返った。

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皆が創造する天使のイメージに赤いスポンジを乗せてプレスする。端末の誤タップによって積み上げられた無意味な文字に順番数字を対応させる。
を、てやわらひいてかに^_^やら
1234567891011121314
赤い花が咲いている。それだけが思い浮かべられた。本質は古びない。また色もつかない。しかし革命にエネルギーは必要だった。この赤色とは我々の血ではない。マグマでもない。太陽の事である。それは実際には橙色と青色が混ざったものだった。

橙色の花が咲いている。男はデスク作業をしている。モニターには坂道をくだる自転車の静止画が映っている。彼は一部を三段の階段的図形にトリミングするとゴミ箱に捨てた。くり抜かれた場所は真っ黒だった。

藻が海中を漂っている。太陽は天秤座と位相をとった。アカシックレコードから潜在意識にまつわる知識が引き出されている。様々な外惑星の規則性によって知識はねじれて宙に消えた。しかし青色の断片が現れたので消えた形が分かった。

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デモンストレーションである。学生達が血の祝祭を行っている。ゴミ袋を赤色のスプレーで塗りたくり水を詰めた。教室はすっかりギリシャ風で、皆一斉に制服を脱いだ。天井に吊られているのはラブドールである。

高度文明社会を支える加工食品。分類もよく分からない添加物名。胃の中で消費され、それが我々の容姿において大部分のトーンを司った。さて全員の胃袋がここにある。それは闘技場に置かれている。いや、かつて闘技場であった位置に置かれている。綺麗なビル街のちょうど交差点の中央部である。
直結15kmにも及ぶこの臓物は天空と何の対称性ももたなかった。それがゆえに太陽存在の理念が表現されているとも言えた。
私は素手でそれを潰した。実際は消化済の空(から)の胃袋群なので、ごく事務的な感じだった。

ところで私は一回の一振りで全ての胃袋を潰したのである。それはここの物理上の空間性として可能である。こう言える。「赤色」とはこの規格なのである。その上で赤色を想像してもらいたい。

最後に同じ人類として皆様に読んでもらうべきシークエンスがある。

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「今日子でぇ〜す!」

「あらお母さん、って私もう独立したんだった。この言語コード消さなきゃ。あっ消えたわ。胡散臭いでしょ。あなたのその言語コードも消すわ。あっ消えたわ。実際はこんな手間で消えるのよ。社会システムのベクトルは「流通」よ。私らが運命を変えるなんてコストかかってないのよ。あなたサイゼリヤで女の人と会って運命変わったのよね?自宅から数十分移動しただけだわ。そうではないんだけど実際そうだわ」

宇宙の発展のために天使らに抵抗命令が出された。それを諾(うべな)った天使らは悪魔になった。二元的に宇宙を発展させてきた歴史がある。キリストは太陽存在の諸力によって降誕し、人類に手本を見せた。つまり限局的な二元論的状況にあってそれを中断するという事である。熱狂の中断。衝動の中断。
一つのスポーツチームがある。一人の選手は個人の尊厳以前にチームとして勝利する事を目的としている。なぜなら勝利する事で個人に焦点が当たるからだ。

赤い花が枯れていた。「海」のシニフィエにすべて浄められる時、それがもっと拡大した。我々は個人である事も忘れるくらい浄化される中でしかし個人の形を保った。死後の数々の定式的工程は踏まなかった。ソースに還らなかった。進化に他ならなかった。そして全ては際限なく繁栄していった。繁栄の裏には…なんて保存則はなかった。なにより刷り込みだった。進化が崩壊につながるのは場が固定されている時である。つまり我々は規格をもたなかった。それが性の在り方につながる。

かつて人類が腰を振ってきた音が聴こえる。という事もなく122.26hzだけが響き渡っている。十字架も強烈な速度性によって直線になった。

今日子は単為生殖者である。今日子はステンレス製の大地の上に立っている。そしてこのように宣告する。
「人類最高」と今日子。
私は今日子を手でどかした。今日子は際限なく移動していきフレームから見切れた。同様の規則性から「人類最高」という叫び声は繰り返された。
私は裸になるとこう叫んだ。
「俺最高」と私。
私は非単為生殖者であった。

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太陽原人 太陽原人 太陽原人 太陽原人

この物語に永遠性が感じられないのは我々が創造主になるからだ。我々が自分を非創造的に感じる時、我々は存在的に創造的だ。私は「私は非単為生殖者であった」で終了しようとしたのはそのような意味合いである。