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دمنهور - 𝑆ℎ𝑖𝑧𝑢𝑜𝑘𝑎 | 𝐻𝑒𝑟𝑚𝑒𝑠 𝑇𝑟𝑖𝑠𝑚𝑒𝑔𝑖𝑠𝑡𝑢𝑠(933311) | Ramakrishna | 𝐑𝐀 | 1991.03/19 | JAPON ♎︎

「頭蓋骨論考(2・5・11)」

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滑らかな雷に見えた。なぜなら頭蓋骨の接合の線に沿って完全に浸透したからだ。アブダクションとしてそこにはインスタレーションがある。それは「網目状のグリッドに平たい臓腑が置かれている」だ。

今も轟々と燃えている太陽はすべての頭上でその理念を発していた。

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鍵から作られる車、白色の銀版、羽の生えた猿

彼は左右対称の完全主義者であった。運転席の扉が外れたので助手席の扉も外した。ドライブはほんの15mだった。前方にはほとんど霊気といったような山々が映っているが、彼には右側にある塔がどうも気になった。

「私は今から塔の対になるという事を宣言する」

そう述べると彼は助手席の方から外に出て、そのまま横になった。時間経過はあまり重要ではなく、快晴であったがずぶ濡れになった。それは幸運な事であり、路面のセメントが水たまりになって彼の頭を覆った。

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赤い車同士が正面からぶつかり合う事。破砕の仕方も同じだった。しかし私はその現象に気を取られなかった。全く同じ格好をした男がその先におり、こちらに歩いてくる。

私には意図が分かっていた。だからこのように述べた。

「つまり最初はこうだった。赤から白に。赤とは内臓に示されるように何かの内側にあるものであり、次いでそれを覆っている皮膚というのは「肌」と呼ばれ、そのイメージは白色である。だから赤い車同士が事故を起こし、同じ格好をした男がこちらに歩いてきた。この私もすでに歩いているのであり、彼とぶつかるのである」

当然、この先というのは文字の始源を表す「a」と等号の牛の頭蓋骨が真っ二つに割れて、そこから何かが出てくように、また何かが入ってくように光が充満した。

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《太陽と私が同じ寸法で、それも同じ形式で手を握り合う》

すべてが終わった後の事だった。したがってその場所はどこでもよく、教会が選ばれた。

教会の扉には14と書かれ、屋根の中央には獅子の顔があり、屋根の上には天使のオブジェがあった。また教会の中は平原の風景が無限に続いた。

そこへ泥だらけの自分が(両扉の外れた骨組みだけの)車に乗って訪れた。駐車場は広く、しかし駐車する枠は一つしかなかった。

まるでシミュレーションを見ているようであった。

たとえば私は55kmをキープしたまま、その駐車枠の中央を完全に誤差なく停めるとフロントガラスを外して、そのまま教会の中に入った。

ここでは自分の事を彼と呼ぶが、彼は教会の中で以下のような事柄を体験した。

「無限に続く平原風景は教会の内装に変わっていた。しかし全ての家具が無かった。床には三角形の図形が描かれ、彼は地獄をその中央に置いた。地獄は三角形より大きいのだが、枠外の部分は消えて、枠内の部分は三角形に吸収された。だがそれも次第に見えなくなっていった。」

彼は三角形の中央に立つと、本来は磔刑のイエスがあるところの「a」を見ていた。気づいた時には左側に閃光が走っていた。そして自分の右手が消えた。

雨は天上へと降り注いでいるのだが、彼は抵抗しなかった。

fin